◆熊野筆 熊野町は、広島市から東へ20キロ、四方を山々で囲まれた細長い盆地の中にあります。人口約2万6千人のこの町で、筆司と呼ばれる人は約1,300人、およそ20人にひとりが筆職人という筆の町です。 路地を一歩入れば、原料の毛や筆の穂首、軸となる竹を乾かしている光景が目に入ってきます。「筆道具揃え」という材料を扱っていることを示す看板が、街角の薬屋に掲げられるほど、筆づくりが暮らしの中に溶け込んでいます。 海抜250メートル、夏は広島市内よりも気温が数度低く快適なこの町で、全国の筆の80%が生産されています。 筆は、大きくわけて墨を含ませる「穂首(ほくび)」と穂首を支える「軸」の2つの部分から構成されています。穂首の主な材料である動物の毛は中国から、軸の主な材料である竹や木は、岡山県や島根県、兵庫県などの他県や外国から熊野に持ち込まれます。 熊野にはこれらの材料はほとんどありません。熊野は材料を製品にする加工技術を保ち、良質の筆を数多く作り続けることで、日本を代表する筆の産地となりました。1975年には、その前年に公布された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づき、熊野筆は筆業界で最初の伝統的工芸品の指定を受けています。 ◆熊野筆の歴史 江戸時代、農業だけでは生活が支えきれない農民の多くが、農閉期に現在の和歌山県にあたる紀州の熊野地方や、奈良県にあたる大和の吉野地方に出稼ぎに行き、故郷に帰る時に、それらの地方で作られた筆や墨を仕入れて行商を行っていました。そうしたことから熊野と筆の結び付きが生まれました。江戸時代後期に、広島藩を治めていた藩主の浅野家の御用筆司(ごようふでし)の所で、筆作りの方法を身につけた熊野の住人が、村に戻って村民にその技法を伝えたのが熊野筆の始まりとされています。 |
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||